2022/07/04 15:44
※この記事は「空飛ぶ創造性メルマガ」として株式会社Gonmatusから2022年5月に配信されたものです。
こんにちは。
小説家の野間美智子です。
先日、二泊三日で実家(愛知県春日井市)に帰りました。
夫の運転に任せて、東京—名古屋間は車で5時間。
コロナ以来の、久しぶりの長いドライブになりました。
実家では、私の生家でもある戸建てに父が一人で暮らしています。
今思うと、今回の帰省は、この父とゆっくり過ごすための時間だったんだな、と改めて思います。
父と母が別居することになったのは何年か前なのですが、そのときは、たとえ40を過ぎていた娘でも、なんだか思春期の子供みたいにもの悲しくなるもんだな、なんて思ったものでした。
しかし今にして思うと、父がひとりになってくれなければ、一対一でゆっくり話すこともなかったのかな、と思い直しています。
それまで、父と話すときは母のフィルターを通して、ということが多くて、そして妹を含めた家族四人で話をするとき、たいてい父は黙っています。
昭和時代の男親の性なのでしょう。
(そういえば、私の祖父のころは「明治の男」「大正の男」というように呼ばれていたと思いますが、これからはどうなるのでしょうか? やはり「平成の男」「令和の男」も、のちの子どもたちからは堅物のように見られるのでしょうか?)
ひっきりなしに話す、母、私、妹。
話の円の外側で、どこか遠くを見ている父。
最近はなくなりましたが、父の態度は高圧的でもあったため、怒鳴って会話が終了することもしばしばありました。
父に対して、私は、以前メルマガで書いたような母に対して持っていた怒りのようなものすらもなく、無関心というか、かなり客観的に見ていたような気がします。
父の方からも、私や妹に対して、関心があったようにも感じなかったのです。
しかし、それはもう過ぎたこと。
今となってはあまり重要なことではないと思っています。
帰省の前に、父に『猫占い師とこはくのタロット』を送ったところ、わざわざ電話をくれて
「おもしろかった」と言ってくれました。
それまでアニメの脚本を書いていた時、エンディングに名前がクレジットされてテレビで放送されても、特に関心があるような感じでもなかったのに、です。
私は驚き、戸惑いましたが……もちろん、とても嬉しかったです。
今回、実家に帰り、夫も交え(夫は両親が別居して初めての帰省でした)、いろいろな話をしているうちに、父は父なりに、娘を愛しているのかもしれないなと素直に感じました。
父をひとりの人として、客観的に見ていたつもりでしたが、さらにより離れた視点で見ることができる自分がいました。
(以前に書いた父からのDNAを切り離したせいかもしれません)
「父が娘に無関心だった」という悲しみのようなものではなく、
「私には感じ取れなかったかもしれないけれど、そこに愛はあったのだと思う」
という前を向いた思い切りです
母と父が一緒に暮らしていたら、多分、そういうことはわからなかったかもしれない。
それは少し、悲しいことではありますが。
父は私に、伊藤家(私の旧姓です)のことを、いろいろと教えてくれます。
今回に限らず、いつも教えてくれるのですが、ほとんど興味がなくて、忘れてしまうのです。
父の祖父は大分の佐伯藩の家老だったそうですが、私は眉唾だと思っていて(笑)、
「そんな大昔のこと、どうでもいいよね」というタイプだからです。
今はまったく、恩恵を受けていませんし……。
しかし、今回は父の伯母の夫(父の義理の伯父)が「服部有恒」という日本画家で、父にくれた「兜」の日本画を見せてくれました。
状態があまりよくなく、シミの入った掛け軸でしたが、木の箱に入っていて、父が大切にしていたようです。
(夫がネットで値段を調べると、そんなに高価なものではありませんでしたが、それについては父に黙っておきました)
「俺が死んだら、持っていけ」
父はあっさり笑って言いました。
お迎えが順番だと考えると、おそらく私より先に父は旅立つでしょう。
今はそんなこと、まだ想像できませんが、いつか、必ずやってきます。
「ご先祖様を大切に」とか「血が脈々と受け継がれて」とか、そういう言葉は、なんだか重くて私は好きではありません。
言葉は鎖になり、手錠になり、手足を縛って、家から、血から、自由にさせてくれない。
そんなイメージがありました。
私たちは、本当はもっと個人を生きていいはずです。
今は血の繋がりや家のことより、心の繋がりを重視し、それを家族とする生き方があってもいいと、私は思います。
まずはそれを大前提にして、でもあえて言いますが、父と母がいなければ私はいません。
祖母が祖父と結婚していなければ、今、実家にある掛け軸も存在しなかったんじゃないかと思います。
その不思議さをありがたく感じてもいいし、「不思議な縁だな」と感じて生きてもいい。
まあ、なんだか縁があって父と娘をやっているし、武士の家のルーツを持つことになったけれど、それはそれとして。
父の残された時間、母の残された時間を、私が私なりに、楽しくできることがあったらいいなと思います。